大須観音、万松寺を中心として、昔の門前町の名残をとどめた大須の町には、今でも奥深い宗教と生活が生きています。大須地区の神社仏閣は昭和20年(1945)の戦災によりほとんどが焼失しましたが、今残る、神社、寺院のご紹介です。
若宮八幡社 三輪神社 瑞雲山 政秀寺
万年寺 大雄山 称名寺 大雄山 一行院
羽林山 光勝院 久寶寺 亀丘林 万松寺
無量山 福寿院 春日神社 正覚山往生院 阿弥陀寺(工事中)
教報山 極楽寺 興国山 大光院 日出神社
愛染寺 久野山 清安寺 隣松山 陽秀院
北野山真福寺 寶生院(大須観音) 北野天満宮 富士浅間神社
法王山 善光寺 稲園山 七寺 景陽山 総見寺

白林寺ホームページ
中区栄三丁目 臨済宗妙心寺派東海山白林寺 成瀬正成の菩提寺 懺悔コーナー,質問コーナーあり

<大須学区開学百年 記念誌より>

臨済宗妙心寺派東海山白林寺
白林寺
 慶長15年、清洲から名古屋への遷府(清洲越え)で、この地は南寺町として、寺院の集まる場所として指定され、当時、清洲やその付近にあった多くの寺が移転した。

 この地が、寺町に指定された理由は、種々あったと思われますが、今も古老の間で、広く語りつがれている、名古屋城との関連が指摘できます。名古屋城は、地形的にみれば、北と西は、切りたった崖ですが、東と南は平坦です。つまり、南からは、攻めやすい地形だといえましょう。この2方面に作られた寺町は、名古屋城攻防の際には、武士の集合場所になり、とりでの役目を果たせる含みがあったと思われる。寺町としての出発は、徳川幕府の大きな政策の一部分であった。

 名古屋市の都市計画による、電車軌道の敷設や、第2次世界大戦中の道路拡張などに協力して、多くの寺院が、大須の地を離れて、移転した。上前津にあった長松院は、移転先が、大須学区の中であったが、善篤寺・永昌院・寶泉院等他の地へ移った寺院の中で、千種区城山町に建立された善篤寺は、大須寺町として、欠かすことのできない、由緒ある寺院であった。

 また、戦災による堂宇の焼失は、その後の寺院維持に、大きな影響を与え、宗教法人を解消してしまった寺も多くあります。このような寺院のことを、青空寺院とよび、大須寺町の中でも、かなりの数にのぼっている。


<補筆>

廃仏毀釈により廃寺に追い込まれた修験者(山伏)の寺 清寿院(那古野山公園、通称タヌキ山のあたり)や、昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風の被害により矢場町交差点(現中京銀行)から昭和区花見通りに移った法光寺のような場合もある。

メールはshidashi@mxp.mesh.ne.jpまで


<参考ホームページ>
臨済宗 南禅寺派雲龍山 大興寺のホ−ムペ−ジ
  ご住職は名古屋出身 寺院リンクも豊富です。
臨済宗(禅宗) 妙心寺派 石室山松禅寺
  兵庫県出石郡のご住職による手作りホームページ