大須観音、万松寺を中心として、昔の門前町の名残をとどめた大須の町には、今でも奥深い宗教と生活が生きています。大須地区の神社仏閣は昭和20年(1945)の戦災によりほとんどが焼失しましたが、今残る、神社、寺院のご紹介です。
白林寺ホームページ 中区栄三丁目 臨済宗妙心寺派東海山白林寺 成瀬正成の菩提寺 懺悔コーナー,質問コーナーあり |
<大須学区開学百年 記念誌より>
この地が、寺町に指定された理由は、種々あったと思われますが、今も古老の間で、広く語りつがれている、名古屋城との関連が指摘できます。名古屋城は、地形的にみれば、北と西は、切りたった崖ですが、東と南は平坦です。つまり、南からは、攻めやすい地形だといえましょう。この2方面に作られた寺町は、名古屋城攻防の際には、武士の集合場所になり、とりでの役目を果たせる含みがあったと思われる。寺町としての出発は、徳川幕府の大きな政策の一部分であった。 名古屋市の都市計画による、電車軌道の敷設や、第2次世界大戦中の道路拡張などに協力して、多くの寺院が、大須の地を離れて、移転した。上前津にあった長松院は、移転先が、大須学区の中であったが、善篤寺・永昌院・寶泉院等他の地へ移った寺院の中で、千種区城山町に建立された善篤寺は、大須寺町として、欠かすことのできない、由緒ある寺院であった。
また、戦災による堂宇の焼失は、その後の寺院維持に、大きな影響を与え、宗教法人を解消してしまった寺も多くあります。このような寺院のことを、青空寺院とよび、大須寺町の中でも、かなりの数にのぼっている。
<補筆> 廃仏毀釈により廃寺に追い込まれた修験者(山伏)の寺 清寿院(那古野山公園、通称タヌキ山のあたり)や、昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風の被害により矢場町交差点(現中京銀行)から昭和区花見通りに移った法光寺のような場合もある。 |
<参考ホームページ>
臨済宗 南禅寺派雲龍山 大興寺のホ−ムペ−ジ ご住職は名古屋出身 寺院リンクも豊富です。 臨済宗(禅宗) 妙心寺派 石室山松禅寺 兵庫県出石郡のご住職による手作りホームページ |