山門(大須赤門) もとの形は慶長年代に造られた清洲越えのもの、楼上に十六羅漢木座像、楼下に仁王木像を配する山門造りであった。享保の火災(1734)、戦災(1945年3月)で失われるまでその形態を保ち大須赤門と呼称される。 赤門通りの地名は、この山門が朱塗りであったことからつけられた。現在の山門は昭和41年建立。
もとの形は慶長年代に造られた清洲越えのもの、楼上に十六羅漢木座像、楼下に仁王木像を配する山門造りであった。享保の火災(1734)、戦災(1945年3月)で失われるまでその形態を保ち大須赤門と呼称される。
赤門通りの地名は、この山門が朱塗りであったことからつけられた。現在の山門は昭和41年建立。