大正初期に大須の森田吾郎(1874〜1952、日本舞踏の赤堀流2代目家元赤堀鶴吉の夫)が日本と西洋音楽の音階を同時に出すために二弦琴にピアノキーを応用して作った大衆楽器。後に三弦に改良する。演奏しやすいことから全国的に広まるが昭和に入って衰退する。近年リバイバルと親しみやすいことから年配者を中心に根強い人気がある。大須では年に何度か、演奏に接する機会がありその郷愁あふれる音色もおなじみなものになっている。
2月3日大須観音節分会の大正琴
琴城流 演奏風景
明治四十五年大須の住人森田五郎氏が八雲琴をもとにして小型で手軽な二弦琴を作り上げた時に重陽の節句であったことから菊琴と名付けられた。この菊琴をさらに弾き易く改良されたものが現在の大正琴の原形といわれております。大正時代大流行したこの琴も、時代の変遷によりその音色もいつしか消え去りました。昭和2年一人の少年がこの楽器のとりことなり以来五十八年間改良に改良を加えながら、大衆芸能と云われるまでに育て上げてきました。
初代菊琴誕生以来本年で、七十五年を迎えるあたり、菊琴創作者、森田五郎氏を偲びその功績を輝影するとともに大正琴の発祥の地を明らかにし後生に伝えんとするものです。
昭和六十年九月九日 碑 文 名古屋大正琴保存会 名誉会長 作家 岡戸武平翁 建立者 琴城流宗家家元 鈴木琴城 株式会社鈴木楽器製作所 鈴木萬司全国大正琴愛好会
広島県福山市の株式会社 安原楽器大正琴と大正琴グループの活動報告まで紹介されています。